こんなに時間が経ってから分かること

「明日からお休みだぁ〜」と思うと嬉しく思わず漫画を読みふけっているYuzinhaです。こんばんは。
最近仕事が忙しくて、終業時間を過ぎるとあとはもう抜け殻です。あまりに根詰めすぎたせいか先週は胃腸のコンディションが悪すぎ、今週は少しペースを落としていますが……土日は土日で別件のお仕事をがんばるぞっと。

さて。唐突ですが、私が高校1年生の途中、母親が家を出て行きました。出て行く前、両親から私と弟に「そういうことになったから」と説明があったのですが、それを聞いている間どんどん涙が出てしまい……でも、そのときはなぜそんなに自分が泣いているのかよくわからなかった。家を出て行くほうが母にとって幸せになるならそれでいいと子どもながらに思っていたし、そのときのうちの家庭状況を考えれば出て行くことは当然の成り行きにも思えた。そのことを特に悲しいとは思っていなかったはずなのに、どうしてあの時あれほど涙が出てきたのかずっとわからなかった。で、今読み返していた漫画の中に出てきたセリフがそこにすっぽりはまった。

ママは本音をさらした私をきちんとうけとめてくれる
私が失いたくないもの 私が欲しいものの正体はこれなんだ

ぶつかりあって 格闘して
時間を分かちあってつくり上げたコミュニケーション

絶対 背中を見せずに 向き合ってくれる愛情

悲しい時も 嬉しいときも
あの人に聞いて欲しいと思う 信頼

すごく厳しい母だった。嫌いだ、と思う瞬間も何度もあった。それでも、あの時あれだけ涙が出てきたのは、どんなに厳しくてもそれは絶対的な私への愛情だと感じていたから、その母が私の手を離した、私に背を向けた、そう思ってしまったからなんじゃないか。
何度も読んでいるストーリーなのに、なぜ今こんなにもすとんと腑に落ちたのかはよくわからないけれど、ただ、これだけ時間が経ったからこそ分かることだったのかもしれないし、こんなにも時間が経ったからこそ分かる気持ちなのかもしれない。

実際、あのときの母の心境がどうだったかはわかりません。1年も経たずに母は家に戻りましたが、そのあといろいろな起こったせいか、いつのまにかうちではあのときのことが「そんなこともあったっけ?」という状態になってしまいました。私の結婚式のときの写真を見ると、両親が絵に描いたように幸せな夫婦のように並んで写っていて、まるでおとぎばなしのようです。その写真をそんな風に思って見てはしまいますが、それでも娘がどうやら幸せそうだということを自分のことのように幸せには思っているようだと実感できるのは、やはり母と私の間には、安心して身をゆだねられるような信頼がなくならずに残っているからなのではないかと、そしてそれはとても幸せなことなのだとあらためて思った次第なのでありました。