いなかの子と都会の子

youkosekiさんの先日のブログより(2007/12/5)。

結婚式のためにあれやこれや決めなければいけないことが多くて、たいへん面倒である。そりゃあ、みんなに結婚を報告する場があってもいいかなと思うし、みんなに祝福してもらえれば嬉しいなと期待はするけれども、そのためにメインテーブルの花がどうとかカタログギフトがどうとか、招待状がどうとか御車代がどうとかというのは儀礼的すぎないか。おまけにすごくお金もかかって、式が終わる頃にはすっかり貧乏人である。なんだかなあと日々思うが、恋人と一緒に因習や見得や予算と戦いながら、あれやこれについて最適解を目指して模索するのは、とてもいい経験である。結婚式が巨大で非合理なイベントなのは、それを通じて男女の価値観の違いや社会との付き合い方を理解するためなのかもしれない。

私自身の体験を振り返ってみると、

メインテーブルの花がどうとかカタログギフトがどうとか、招待状がどうとか御車代がどうとか

を決めていくのは、もともと自分の中での「好み」のようなものがはっきりしていたので、それほど迷わなかったし、わりと楽しかった。(部分的に面倒ではあったけれど)
ただ、

恋人と一緒に因習や見得や予算と戦いながら、あれやこれについて最適解を目指して模索するのは、とてもいい経験である。結婚式が巨大で非合理なイベントなのは、それを通じて男女の価値観の違いや社会との付き合い方を理解するためなのかもしれない。

というくだりにはほぼ賛同。
というか、そういう模索や試行錯誤のために結婚式があるといっても過言ではないと思う。同時に、二人の関係だけではなく、そこに関わってくる人々、特にそれぞれが今までに培ってきた人間関係がよく見えてくるのが結婚式であって、それはこれから長い人生を家族としてともに歩んでいこうという二人にとっては、とても重要な通過儀礼であるように思う。

で、私の場合をふたたび振り返って考えてみると、やはり一番の印象は私はいわゆる「都会育ち」であり、彼はいわゆる「いなか育ち」であるというところ。単に生まれ育った場所というだけでなく、その場所がもっている人間とのかかわり方、歴史、慣習といったものがまるで違うということ。いい悪いの話ではないのだが、私たちの場合、そういうお互いの育ち方、ふるさとというものに対して、前向きな好奇心をもっているがゆえに上手くいっているというのもありそうだなと思う。