結婚式云々

結婚式関係のとある業者と本番前1ヶ月を切るこの時期に揉めていたのが先週末ようやく一段落し、今日見積もりが届いたのだが、見積書とお詫びの手紙が杜撰すぎて言葉も出ない。

もし、私たちにもっとお金の余裕があったとしたら、もっと何か変わっただろうか?と少し考える。
だがいろいろ考えてみても、たぶんあんまり変わらなかったような気もする。
「結婚式」がそれなりに人生の大きなイベントであるという意識は私にもあるけれど、いわゆる「結婚式」に対して多くの人が思い描いていること、そしてそれを商売にしている人々との意識との間にある「ずれ」は埋まらない。

上手に説明することはできないけれど、おそらくそれは私が経験してきた「結婚式」がキリスト教会という(日本では)少し特殊なコミュニティの中で行われてきたからだろうと思う。私が育った教会はとても家族を大事にする教義をもっていたので「結婚」は大事なイベントではあったけれど、だからこそその教会のみんなで作るものという意識が大きかった。それは普段から相互扶助が発達したコミュニティだからこそ達成できたことであって、おそらく今の日本ではかなり珍しいことなのだろうと思うが、ドレスは誰それの着たものだとかお裁縫が得意な誰それが作る、とか料理やお花やその他のいろいろなことが同様にそれぞれ得意な人に割り振られて、持ち寄りでというのが普通だった。(そのためか、なぜか結婚式にかけるお金は10万円までという決まりまであったらしいのだが…)
もちろん、今まで招待された友人たちの結婚式もそれはそれでとても素敵で感動的なものではあったのだが、私にとっての「普通」ではなく、教会のコミュニティを出てしまった今の私が、私にとっての「普通」を実現するのは結構困難なことで、それでもそれを通そうとするのにはやはり多少は無理があるということなのか。

まあとにかく経験者として語れることは、「一生に一度」というフレーズに騙されず、普段モノやサービスを選ぶときと同じ視点で選ぶことが肝要であるという、しごく当たり前のことだったりするのだけれど。

それと、私はこれまでずっと「ちょっと変わった子」という扱いのことが多くて、仕事上困難を感じることがあっても普段はそれでも構わないのだが、それゆえに友人と呼べる人も少ないのではないかと思い込んできたのですが、いざ結婚式に来てほしい人の顔を思い浮かべてみると考えていたよりもずっと多く、また地元を離れているためにだめでもともととかなり多くの人に声をかけたのだが、予想以上に「行くよー」と言ってくださる方が多く、またそれは夫婦ともどもだったため、結果として想定よりもかなりの人数をお呼びすることになり、二人とも嬉しい「びっくり」だった。
「これで友だち少ないなんて言ってたらバチ当たるよね」というのは最近の相方との会話。ありがたいことです…