われ思う ゆえに…より。

私の周囲には異性の親友がいるという女性が何人かいるが、みな口を揃えて彼とセックスしたことはない、その可能性はこの先もゼロだと言う。しかし……それほど深く理解し、信頼し、心許し合っている間柄であるからこそ、一線を越えてしまうという事態が起こりうるのではないのか?
単なる男友だち、女友だちのレベルではない友情で結ばれているふたりであるからこそ、「そういうことは一切ない」よりも「ときにはそういうこともある」というあり方のほうが自然な形であるように私には思えるのである。
……メールをしたり食事をしたりといったことの延長線上にセックスがあり、双方がことさらそれに執着することも拒絶することもなく、「自分たちにあってもいいし、なくてもいい」という境地にあるとき初めて、逆説的であるが、ふたりは「男とか女とかいうことを超越した友人」と言えるのではないかしら……。

私にとってはむしろ、セックスはメールや食事や他のいろいろなことの延長線上にしかありえない。メールや手紙の心地よい言葉のやりとりや、美味しくて楽しい食事やそういうことが共にできる人としかしようとは思えない。そして、そういう人となら一緒に生活したり、結婚したりということが可能になると思っている。だからこそ、私は結婚してもいいなと思える人としかセックスしたくないと思う。*1
セックスというのは究極のコミュニケーションだと思っているし、言葉だけに頼ることもできないし、お互いにその時思っていること(その行為が気持ちいいものとなっているか、とか)をきちんと推し量ることができなければ、そのようなコミュニケーションはできないと思うから。

ただ、それが恋人同士に限定されたコミュニケーションじゃなきゃいけないこととは思えないのだ。だから、場合によってはそういうコミュニケーションが同性の間でやりとりされることも可能性としてはアリかなぁとも思ってしまう。今はそこまでのコミュニケーションをするのは(今の)恋人だけでいいなぁと思えたので結婚を決めたわけでもあるんですが。

*1:もっとも、相手の男性にとってもそうだとは限りませんが…実際「そういうつもりならもうしたくない」と言われたことも…