一昨日、京都に帰ってきました。
携帯のほうにメールくれた友人たち、どうもありがとう。私は元気です。
そういうわけで、今年は年賀状での挨拶は失礼させていただきますので、よろしくです。

祖父の訃報は本当に突然で、81歳という高齢ではあったものの、とても元気だったのでいまだに実感が沸きません。
でもいまだ実感が沸かないのは、その後の一連の出来事のせいのような気もします……どうして本当にうちの家族というのはこんなに冗談めいているのだろう。。。

中でも一番の出来事は、納棺の前に家で業者さんに湯灌をしてもらったのですが、その最後に「では皆さんで合掌をお願いします」と言われ、皆で手を合わせた時のこと。祖父はラジオが好きで、家にいるときはほとんどラジオをつけっぱなしにしてたので、遺体を置いていた部屋でもずっとラジオをつけてたんですね。湯灌のときもラジオはそのままでいいですよとのことだったので、そのままにしてました。そうしたら……皆(祖母と叔父夫婦と母と私)で合掌して部屋がシーンとなったその時、つけっぱなしにしていたラジオから「人は余をバカモノと呼ぶなり〜」という台詞が……不謹慎だとは思ったのですが、耐え切れずに私は爆笑……これは絶対に祖父があの世から謀ってやったことに違いないと思いました。ええ、そういうお茶目な祖父なんです……

連絡をもらってすぐに地元に帰ったのですが、すでに皆は搬送先の病院で祖父とお別れをして祖父母の家に戻ってきたところで、着いたらすぐに「お弁当買ってきたけど食べる〜?」だったし、なんだか私ひとりタイミングを外してしまって、涙一粒出やしない。その翌日には↑のような出来事はあるし、物忘れも激しくなって一人ではあぶなっかしい祖母に私はずっと付きっきりで、なんだか悲しむとかそういう次元ではなくて。
でも、さすがに告別式が終わって出棺の前に棺に花を納めていたら、そのときにはボロボロ泣いてしまいました。ふと横を見ると叔母(母の弟の嫁)も号泣。

そんなこんなで京都に帰ってきた日には、すっかり疲れきっていてほぼ12時間寝続けるという暴挙に出てしまいました。さて、修論はどうなるんでしょうか……