ずっと変わらないと思っていたことが、変わってしまった
思っていた、というよりも信じていた、というほうが近い
だから「変わってしまったこと」に失望したし、怒りもしたし、憎みもした

時間が経って冷静になってみると、
どうして「変わってしまった」のかということを考えるようになった
変わってしまったことは事実として私の前にある
その事実をどう消化するか、ということは私の課題だ
変化の理由をつきつめることは、その課題に答えるためにある

答えなんてものは出なかった
私ひとりではどうしても確証が持てなかった
それでも「事実を消化しようとしたこと」が今の私をつくった
私のなかの真実が見つけられればそれでいい
それしかできない
真実なんてどこにもない、そしてどこにでもある
それがわかっただけでよかった
時間の経過と葛藤の繰り返しが私の中の止まっていた時計の針を進めてくれたんだと思う

青臭い「自分探し」は終わらない
どんなに変わらないことを願っても変わってしまうこともある
逆もまた然り、である
だとしたら私にできることは……?
私は決して楽観主義ではない、かといって悲観主義でもない
そういうスタンスが今の私を支えている

過去をふりかえることは決して悪いことではない