たとえば。

1を言って10わかってもらえる場合とか、
1を言っても0.5もわかってもらえない場合とか、
1を言ったら2〜4をとばして5だけわかってもらえる場合とか、
いろんな場合があるけれど、
1も言わずに10わかっちゃうことだってあったりして、
喜んだり、悲しんだり、怒ったり、むかついたり。
しちゃうわけです。


(あー、隣の部屋がうるさいなっと。)


どうも私はつるむってやつが苦手で、
でも私も誰かとつるむことはあるわけで、
そんな時はどんな時かって言うと、
やっぱり必要以上にしゃべらなくてもいい人とか
必要以上にしゃべってもちゃんと受け止めてくれる人とか
そういう人がいる時なのであって、

(あ、どうやらバースデーパーティーをしてるらしい(・。・))

そういう人と一緒だと、
半年ぶりに会ったのに何にもしゃべらんと、
ただ同じ部屋でマンガ読んでるだけでも
満たされてしまったりするわけです。
でも、そういう人に出会えることは少ないわけで。
つるんでるのに分かってもらえない時には
どうにも行き場のない思いを抱えることになるわけで。
私はそういうのがどうも苦手です。

(イッキ飲みはよくないぞ・・・(−_−))

こうして、日々思ったことを
つらつらつらつら書いていて、
別に反応も何もなくても、きっと
これを読んでニヤニヤしてるヤツはいるわけで(笑)
ただ思いを吐き出すだけで自己満足にすぎないけど、
それができることを私は幸せだと思うわけです。

(お、お開きか?(°_°))

私が1言って10わかる人と
そうでない人は、きっと言葉の理解装置が異なるんでしょう。
それは至極当たり前のことだし、
普通に生きていこうと思ったら、
きっと受け入れなければならないことなんだろうけど。
私は社会不適合者なのかもしれません。
しんどくてしんどくて、
時々生きていることが辛くなる。
それぐらいで、と言えることではないのです。
少なくとも私にとっては。

(何や、人が増えてるやんけー( ̄▽ ̄;))

でも、それでも生きていてよかったと
言える瞬間は確実に存在して、
そういう風に思わせてくれた人や時間に
私は感謝せずにはおれません。
彼らのおかげで私は今、ここにこうしているのだから。
「今」は瞬間瞬間の積み重ねです。
三角関数のような綺麗なグラフは描けないけれども、
それでも必ず傾きが正になる時はあるのだ、と
知っていることが
明日を生きる力になります。