今朝。起きて顔を洗い、服を着替えようとクローゼットを開けたところで
突然腹痛に襲われた。
お腹のなかで何かがねじれてぎゅーぎゅーなっているような痛みだった。
最初は気のせいだと思おうとしていたのだが、
そのうちどうにもならなくなり、布団の上に倒れこんだ。

じっとしていればそのうちおさまるだろう、と思ったのだが
甘かった……どう姿勢を変えてもおさまらないどころか痛みは増すばかり。
そのうち変な汗まで出てきて、
「これはもう死ぬかも…」
とまで思ったあたりで記憶がなくなった。


次に目がさめたのはそれから約3時間後。


どうも腹痛には昔から嫌な思い出がつきまとう。
(いい思い出を持っている人なんていないだろうけど)
夜中に病院に行ったこともあるし、そのうちの一回は入院までしたのに
結局原因はきちんとわからないままだった。

病は気から、と言うけれど
「気のせい」だと思おうとして放置した結果、逆に悪化させてしまったこともある。
どんなに気をつけていても、どうしようもないこともあるのだ。
私の育った家は、病気やケガをすると必ず怒る家だった。
「おまえが悪いんだぞー」って。
そのせいか今でも病気やケガをすると、
どうにも申し訳ないような気がしてしまうのだけれど、
本当はそんなのは理不尽だと思ったりもする。


それにしても、あのいつ収まるともわからない腹痛のつらさは
思い出すのもおそろしい。
最大24時間以上悶えていたこともあるけれど、
どうにもならなくなってとうとう人に助けを求めた時には、
痛みそのものよりも、
痛みによって弱気になった自分を救ってほしくなっている。
痛みは医者以外に治せるわけではないけれど、
(医者に治せるかどうかも怪しいけど)
そのつらさを訴えられる相手が目の前にいるかどうか。
側にいて手を握っていてくれるかどうか、で
だいぶ痛みもやわらぐような気がする。

ひとり暮らしをしている今では、
突然の腹痛に限らず、風邪の時もしんどい。
ごはんの用意やら何でも自分でやるしかないってのも辛いけれど、
側に誰もいない、ということがあれだけ身に沁みることもない。
たとえ包丁も握れないような子どもであっても、
誰かがそばにいるということ心づよいことはないんじゃないかなぁ。
それだけに、昔、夜中に数時間ほど腹痛に悶えたあげくに
恋人に助けを求める電話をかけた時に
「ほな救急車呼びいな。」
と言われて電話を切られた時にゃ、目の前が真っ暗になるほどの絶望感だった。
(結局車で駆けつけてくれたのですがね)
結婚願望もなく、ひとりふらふらしてたい私が
誰かと一緒に暮らしたいなと思うのは
そんなときだったりする。
私でない誰かが側にいる、ということがどれだけ素敵なことか。
それが時には煩わしく思えたとしても
やっぱりチカラになるんじゃないかなあ、と思う。


意地はってないで、すなおになってみようか。
そんなことを思った朝の出来事でした。