芝居を観る側の責任?

新しいお仕事が始まって、それが定期的な出勤ではないことと、芝居の公演が重なったりして妙に忙しい。この忙しさはたぶん年末まで続いて、間にいろいろとイレギュラーな用事などが入ったりしてお金はないのにバタバタ。まさに貧乏暇なし。(ちょっと違う…)

ところで、先日の公演はとある小さなミュージアムの依頼で古い日本家屋の庭で芝居をするというもの。L字型の建物の軒下にお客さんが座り、その軒下に囲まれた庭部分でお芝居をしたのだけれど、それ自体はまあよかったと思う。生えてる木とか草木とかうまく使って雰囲気作れたと思うし。


↑こんな感じ。若干、縮尺がおかしいけど。

ただ、想定よりも多くのお客さんが来てしまったために、舞台となる庭部分ぎりぎりまでお客さんが入ることになってしまい、いろいろな仕掛けもある部分までお客さんがうろうろしていた。あと、その想定よりも多いお客さんを主催者側が上手く捌ききれず、ちょうど私は出入り口付近でピアノを弾いていたのだが(そこが唯一の出入り口になるという説明もなく)公演途中でも人の出入りは多いわ、出入りするときにピアノに触れていくわ、私にとっての台本である楽譜は丸見えだわ、あげくの果てに途中でコンセントが踏まれて電源が落ちるわ、でちょっと何だかなという感じは否めない。

で、ここからが本題なのだが、今回のことも含め観る側にはどこまでの責任があるのかな?ということ。もちろん今回は私たちの確認漏れということもあったし、未然に防げる部分もあったと思う。もちろん、主催者側の落ち度もあると思う。ただ、明らかにそこは舞台の中というところに公演中に出入りする、公演者(や、使用している装置)に触れる、一緒に犬を連れてくる(これは例外かもしれないけれど)ということは、観る側として最低限守るべきマナーではないのかなと思ったりするのだ。

芝居に限らず、すべての表現活動において表現する側とそれを受け止める側が存在する。そのどちらか一方だけにその成功は委ねられていないのであって、双方の姿勢というかコミュニケーションが成立してこその「表現」になると私は思う。そういう意味で、観る側にもある程度の「姿勢」というかマナーが求められる、そういう責任が発生すると私は思うのだけれど。

余談だけれど、昔ある小劇場に舞台を観に行ったとき、たまたま桟敷に座って観ていたら、舞台でいすに座る女優のスカートの中がチラチラ見えてしまい、とても気になったという話をその舞台の演出家に言ったところ、「そんなん桟敷に座るお前が悪い」と言われてしまった。そのときは「そういうものか」と何となく腑に落ちないまま流してしまったのだけれど、桟敷席のある舞台を作る以上、どこから見ても大丈夫な舞台を作るのが演出家の仕事なのでは?と今では思う。どうなのだろう?