私は基本的に何でも3日坊主(つまり,飽きっぽい)ので,このブログもまともに続かないままに1年が経とうとしているのだが,ある知り合いがWEBで公開している日記は完全に私のツボで,というか自分もそんな風に日記が書けたらいいのになといつも思っている。

自分がその時に感じたこととか,考えたことを書き留めておきたい,と思うのは後からそれを読み返すことに意味がある,と信じているからだろう。というか,意味があるというよりもそれを面白いと感じる自分がいるというか。
忘れてしまう記憶に意味がない,ということも言われたことがあるけれども,本当にそうだろうか。

たとえば,私は高校時代に学校をさぼって図書館にこもって本ばかり読んでいたのだけれども,その時代に自分が読んでいた本のタイトルどころか作者名までも忘れてしまっている本が大半で,もちろん内容なんか覚えているはずもないのだけれど,本を読んでやたら泣いていたりとか,一冊読み終えてはものすごい空虚感にとりつかれていたりとか,なんかその「本を読んでいた」という行為にまつわる色んな感情の淡い記憶(それは感情の記憶というよりも,何か色とか匂いの記憶に近いような気がする)っていうのは,自分にとっては結構大事なような気がしてならない。
ただ,やっぱりそのあやふやな記憶を,その時の自分の言葉で覚えておきたいというのは常にある気持ちで,でもずぼらな性格に負けてなかなかそれは実現できないでいる。

情けない話だけれども,20代も半分が終わろうという年になっても,まだまだ私は「自分探し」をしているような気がしてならない。本当は,中身のない自分を認めたくないだけなんだろうと思うけれど,たぶん。私がここにいる,というその事実だけで私は生きていてもいい,というすごく簡単なことがどうしてもすんなり認められなくて,何もできない,何も優れたところがない,何も役に立たない私がこうしてのんべんだらりとこの世に生きている,ということがどうにもこうにも許せない時があるのだ。それは本当に時々だけど,そういう時は本当に息をするのも苦しくて,何でそんな風に思うのかわからないし,消えてしまいたいと思うけれど,だからといって本当に何かができるほど勇気や元気があるわけでもないという何とも中途半端な状態に陥ってしまう。

そういうのは周期的にやってくるので,そういう周期がわかれば少しは生きやすくなるかな,とは思うのだがそもそもそういう時は何かを記しておくことすら面倒になってしまうので,やっぱり日記を継続して書き続けるってのは無理なのかなって思ったりもする。