大学1回の時のサークルの定期演奏会での録音を手に入れたもんで、いろいろ思い出しながら聞いてます。あぁ〜歌いたいなぁーと思う曲があるんだけど、男声合唱なので無理。
ジョスカン・デ・プレのミサ曲のひとつなんだけど、これがかっこいいんだよなぁ。おっかけたと思ったら重なって、テンポも拍子も変わってないのに緩急の変化があって。重厚なのに繊細で。この時代の人の教会音楽はすごく好きで、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア、ウィリアム・バード…そしてそのあとに続くバロック音楽の父である大バッハ。あぁ、歌いたい……難しいんだよなー。
失って初めて気付くものというのは確かにあるのです。失われたものの大きさ、その時に自分ができたこととできなかったこと。確かに失われたものは取り戻せないけれども、そのかわりに自分の中に構築できるものというものも確かにあると思うのです。人間のキャパには限りがあるのですから、見極める目というものを持ちたいと最近つくづく思います。

大学の近くのお気に入りの喫茶店【アオイアン】が今日で閉店ということで、よくそこでぐだぐだしゃべっていた友人と行って来たのです。そこでも↑にまつわる思い出話などに花を咲かせ、ついでにいろいろぐだぐだとしゃべっていたのですが。
そこで私は小心者だと指摘され…そうか。そう言われれば思い当たる節もいろいろとあり、なんだか彼と話していると自分では気付かない、もしくは気づかない自分の一面に気付かされたりするのです。彼はこの春から東京に行く予定なのですが、無性にそれが寂しかったりします。気持ちよく送り出してあげたいんですけどね、本当は。
んで、小心者だと指摘されて腑に落ちたことがひとつ。今までまったく現実味のなかったある目論見が、にわかに現実味をおびてきて「わーわーどうしよー」となってたのですが…その原因がわかりました。つまりビビってるんですね、密かに。目の前の現実とか、人が変わっていく様を目のあたりにする経験はこれまでもあるんですが、やっぱりこれだけ間近でそれを見てしまうとなんか不安になっちゃうのか…と。