モノを捨てられない私は
部屋を片付けられないだけじゃなく
人生において
「何が大事なのか」「何を大事にしたいのか」
ということさえも、わからずにいる

自分のキャパを過信して
欲張ったとしても
できることは限られていて
やみくもに頑張ったとしても
どうしようもないことは
もう嫌というほどわかっているはずなのに

私が今、一番見失ってはいけないもの
それは何なのか

たぶん、答えはとっくに出てる
他のものを切り捨てる勇気がないだけ

  • 過去を整理したら

部屋を片付けられない、
自分の気持ちすら整理できない、そんな自分に決別しようと
思い立って過去のノートなどを整理し始めた。

私は割と何でもとっておいてしまう性質で、
大学に入ってからのノートやテキストはほとんど残してあったのだが…
「いつか何かの役に立つかも」と思っていたものも、
「いや、二度と読み返すことはないだろう」と思い切って捨てた。

ところが。
一応、捨てる前には内容を確認したのだが、
「こんなことも習ってたんだ…」と愕然としてしまった。
私は大学3回生になるまで"大学の授業はつまらない"と思い込んでいた。
専門的で深みのある授業には3回生になってからようやく出会えた、と思っていた。
ところが、だ。ノートを読み返して見たら、3回生になってようやく"面白い"と感じるようになった内容が、たくさん書いてあったのだ。
何のことはない。
授業が面白くなったのではなく、自分の感受性が変化したから"面白い"と思えるようになったのだ。

これには参った。

私はずっと周りの学生をバカにしていた。
大学生にもなって、友達と一緒じゃなきゃ授業もとれない、単位さえとれればそれでいい、何のために大学に来ているのかよくわからない連中、だと思っていた。
でも、私もそういう連中の一人だったのだ。
講義で展開された内容に対するアンテナの感度は弱く、価値もわからず、自分ひとりの思い込みと偏見で凝り固まっていたのだ。
あと半年で卒業、というときになってようやくそのことに気づくなんて…!!
幸い、私の思い込みと偏見は3回生になる頃からようやく是正されるようになっていて、何も考えていないと思っていたやつらが、実はいろんなことに悩んでいて、私の知らない場所でそれぞれに得がたい経験をしてきている、ということに今さらながら気がつくようになった。
どれだけ自分が自分しか見ておらず、周りにきちんと目を向けられていなかったか、ということにこの1年間でようやく気がついてきたところだった。

これは衝撃だった。
そしてこれは、今、私がまさに受けるべき衝撃だと思った。
昔付き合っていた人に
「自分がどれだけのもんだと思ってんの?」
と言われたことがある。
私はずっとこの言葉に反発しようとして生きてきた。
今は素直に受け止めようと思える。
そうだ、私は特別じゃない。
決して卑下するわけでもなく、卑屈になるわけでもなく。でも、私はこの言葉を素直に受け入れて、今一度自分を見つめなおしてみようと思う。自分に何ができて、何ができないのか。自分がしたいことは何で、何はしたくないのか。

ああ、なんだかようやくスタート地点に立てたような気がする。
長かった…と思う。どれだけ迷い、傷つきながらここまで来たのだろう?
それを時間の無駄だとは思えない。
きっとそれは、私には必要な時間だったのだから。

さあ歩き始めてみよう。
どんな道が待っているのか、わからないけれど………