ひとが生きるということは、
わたしの手が届かない、
わたしには思いもよらない、
わたしとは違った、
そういう想いや考えや行動をもつ生き物である、
ということであって、
自分もまたそういう生き物であるということを、
確信するとともに、
そのような生き物に囲まれて生きる、
ということであって、
とても傲慢で乱暴な生き方を、
省みるとともに、
その未知の世界のひろがりを、
知るということでもある。

私を育んでくれたひとびと、
そのひとりひとりに、
感謝するとともに敬愛を表することが
本当にできたならば、
それが私の生きた証となるかもしれない。
家族と呼べるひとたちの他に、
わたしの誕生日を覚え、
それを祝い、
わたしの成長を見つめてくれたひとが、
存在するということ。
もう、
言葉をかわすことができない、
ということ。
記憶のなかでしか、
声を聞くことができない、
ということ。
おおきな笑顔を、
残像としてしか見ることができない、
ということ。

こころから、
感謝と哀悼の意をこめて。

「ひるとなく、よるとなく、
主はともにましませば、
いやされぬやまいなく、
さちならぬ禍もなし。
ひるとなく、よるとなく、
主の愛にまもられて、
いつか主にむすばれつ、
世にはなきまじわりよ。」
(讃美歌 第532番)